神守の一里塚
2018年、友人と熱田神宮から、東海道→佐屋街道→東海道→伊勢街道を歩いて、伊勢神宮まで行く、という面白いことにチャレンジしました。6日間の行程を3回に分けて歩く予定でしたが、残念ながらまだ松阪あたりで止まったままです。
朝6時に熱田神宮に集合。尾頭橋、岩塚、万場、大治、七宝、ちょうど神守宿がランチの時間になります。その後、埋田追分で津島神社に向かい、佐屋宿へ南下。代官所跡や松尾芭蕉の水鶏(くいな)塚を見て、名鉄佐屋駅で休憩。三里の渡しの代わりに電車で桑名に入り、やっと一日目終了。徒歩24.5キロ、44,000歩は結構きついです。
翌日、桑名湊から四日市へ向けて東海道をテクテク。街道を歩いていると、町々に小規模な和菓子屋さんと、畳屋さんが残っていることに気が付きました。友人から、手作り和菓子や畳は、スーパーやホームセンターでは売っていない。という解説がされました。なるほど。
佐屋街道は、寛永11年(1634年)三代将軍家光の上洛の時、熱田(宮)宿と桑名宿の間の海路「七里の渡し」の脇街道として、尾張藩初代藩主の徳川義直が開いたといわれています。その後、万場宿と佐屋宿との間があまりにも長かったため、正保4年(1647年)に「神守宿」が設けられました。
佐屋街道で唯一現存する一里塚が、神守宿の入口にある神守の一里塚です。石碑だけ、常夜灯だけ、松の木だけという一里塚が多く、(手前味噌かもしれませんが)大きな椋の木のある神守の一里塚は、かなり立派なほうだと思います。松尾芭蕉もこの前を通ったと想うと、なかなか面白いですね。
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